源頼朝が、幕府の鬼門にあたる方向に鎮守として建てたもので、天台宗系だったそうです。
本覚寺の仁王門
ちょうど、この仁王門の前辺りに頼朝の夷堂があったそうです。 |
のちに、佐渡流罪を許されて鎌倉に戻った日蓮は、この夷堂を拠点として活動していたといいます。
その日蓮ゆかりの地に日出が本覚寺を建てました。
そのときに、夷堂も本覚寺の中に移されたといいます。
本覚寺の本堂 |
本覚寺開山の日出は、室町時代の僧です。
他宗からの弾圧を受けながらも、熱心に布教活動を続けていましたが、ついに、時の鎌倉公方足利持氏に捕らえられてしまいます。
しかし、持氏の枕元に夷神が現れ、
「日出を殺すな」
と告げたといいます。
無罪放免となった日出は、持氏の力を借りて、本覚寺を建てたと伝えられています。
夷堂
現在の夷堂は、昭和56年に再建されたものです。 |
本覚寺にあった夷堂は、明治の神仏分離の影響で、蛭子神社に合祀されました。
本覚寺の門前の夷堂橋も、「大町橋」と名を改められた時期があったといいます。
蛭子神社
夷堂橋
鎌倉十橋の一つで、『新編鎌倉志』は、その名の由来を、 「夷三郎社があったことによる」と記しているようです。 |
本覚寺門前の碑
鎌倉えびす
夷神は、商売繁盛の神様です。本覚寺の正月は「鎌倉えびす」で賑わいます。 |
本覚寺の夷神は、鎌倉・江ノ島七福神の一つです。 |
本覚寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043honkakuji.htm
鎌倉えびす
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/honkakuji-ebisu.htm
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html