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2011年9月4日日曜日

源頼朝が建てた幕府の鎮守「夷堂」と本覚寺

本覚寺のある場所には、夷神を祀った「夷堂」(夷三郎社)があったといいます。

源頼朝が、幕府の鬼門にあたる方向に鎮守として建てたもので、天台宗系だったそうです。


本覚寺の仁王門
ちょうど、この仁王門の前辺りに頼朝の夷堂があったそうです。


のちに、佐渡流罪を許されて鎌倉に戻った日蓮は、この夷堂を拠点として活動していたといいます。

その日蓮ゆかりの地に日出が本覚寺を建てました。
そのときに、夷堂も本覚寺の中に移されたといいます。


本覚寺の本堂


本覚寺開山の日出は、室町時代の僧です。

他宗からの弾圧を受けながらも、熱心に布教活動を続けていましたが、ついに、時の鎌倉公方足利持氏に捕らえられてしまいます。

しかし、持氏の枕元に夷神が現れ、

「日出を殺すな」

と告げたといいます。

無罪放免となった日出は、持氏の力を借りて、本覚寺を建てたと伝えられています。


夷堂
現在の夷堂は、昭和56年に再建されたものです。


本覚寺にあった夷堂は、明治の神仏分離の影響で、蛭子神社に合祀されました。

本覚寺の門前の夷堂橋も、「大町橋」と名を改められた時期があったといいます。


蛭子神社

夷堂橋
鎌倉十橋の一つで、
『新編鎌倉志』は、その名の由来を、
「夷三郎社があったことによる」と記しているようです。

本覚寺門前の碑





鎌倉えびす
夷神は、商売繁盛の神様です。本覚寺の正月は「鎌倉えびす」で賑わいます。

本覚寺の夷神は、鎌倉・江ノ島七福神の一つです。



本覚寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043honkakuji.htm
鎌倉えびす
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/honkakuji-ebisu.htm
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html


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