二代将軍源頼家は、1182年(寿永元年)8月12日に誕生しました。
『吾妻鏡』によれば・・・
1182年(養和2年)3月9日、政子が懐妊し、安産祈願としての「着帯の儀」が執り行われました。
帯は千葉常胤の妻が用意し、子胤正が献じています。
頼朝自らが帯を締め、丹後局が手伝いをしたといいます。
(丹後局は、頼朝の乳母だった比企尼の娘で、安達盛長の妻です。)
3月15日、頼朝は、以前より考えていた若宮大路の造営にとりかかります。
なかなか着手できないでいたのですが、政子の安産祈願のために始められました。
頼朝自らが指揮し、北条時政らの御家人が土や石を運んだといいます。
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7月12日、出産間近となった政子は、産所とした比企ヶ谷の比企邸へ移ります。
御産の間の雑事の奉行には、梶原景時が任命されています。
総門前には、比企能員邸跡の石碑が建てられています。
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8月11日、夜になって政子が産気づくと、頼朝は比企邸に赴き、祈祷のための奉幣の使者を伊豆山権現・箱根権現と近国8箇所の宮社に派遣しています。
(熱海)
(箱根)
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翌8月12日午後6時頃、無事に男児が生まれると・・・
悪魔払いのため、大庭景義らによって「鳴弦」が、上総広常によって「引目」の儀式が行われます。
そして、午後8時頃、乳母になる河越重頼の妻が呼ばれ、初めて乳を与える儀式が行われました。
(河越重頼の娘は、頼朝の乳母だった比企尼の娘です。)
8月13日、宇都宮朝綱、畠山重忠、土屋義清、和田義盛、梶原景時、梶原景季、横山時兼が「護り刀」を献上しています。
その他、御家人たちが献上した馬は、200頭にもなったといいます。
これらの馬は、鶴岡八幡宮をはじめとする神社に奉納されています。
その後、三夜・五夜・七夜・九夜の儀式が執り行われています。
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~政子の妊娠中に浮気をしていた頼朝~
頼朝は、政子が妊娠中の6月1日、妾の亀の前を小坪の小中太光家宅に住まわせています。
その後、小坪から飯島の伏見広綱の屋敷に移させ寵愛していました。
しかし、11月10日、このことが政子にばれてしまい、政子は広綱の屋敷を破壊させています。
参考:小坪路 鐙摺山(葉山) 浮気発覚!”政子激怒)
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