「六浦」とは、現在の横浜市金沢区。京急の「金沢八景駅」辺りから朝比奈町(朝夷奈切通入口)辺りまでを「六浦」と呼んでいたのかと思われます。
鎌倉時代には、鎌倉の東の境で「四角四境祭」が行われていました。のちに、北条氏の所領となり、金沢実時は称名寺を建立しています。
六浦道は、塩をはじめとする物資輸送の道でした。
筋違橋 ここから六浦道です。 横大路は六浦道の一部です。 「岐れ道」までは横大路を参考に・・・ |
岐れ道 ここまでは横大路と同じです。 横大路:https://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_07.html |
関取場跡碑 北条氏康(小田原北条氏)は、荏柄天神社の修復費用に充てるため、 通行人の荷物を検査して通行税を徴収しました。 |
関所橋 税金を徴収するための関所があったので関所橋といいます。 |
大蔵稲荷社
大御堂橋の交差点 右に曲がれば大御堂橋。 橋を渡れば「田楽辻子のみち」です。 |
荏柄天神社 荏柄天神社の参道です。 鎌倉の古道・・・荏柄天神社参道 |
歌ノ橋 鎌倉十橋の一つ。 渋川刑部六郎兼守の伝説が残る橋。 https://www.yoritomo-japan.com/page042utanohasi.htm |
市立第二小学校 ここを曲がると鎌倉宮・覚園寺・瑞泉寺。 |
杉本寺 鎌倉最古の寺といわれています。 板東観音巡礼、鎌倉観音巡礼の第一番札所。 |
犬懸橋 犬懸ヶ谷を通って衣張山に通じています。 犬懸ヶ谷には関東管領を務めた上杉禅秀邸がありました。 衣張山は、 巡礼者が板東第二番札所の岩殿寺に行くための道だったともいわれています。 |
杉本寺の上は杉本城でした。 1337年(建武4年・延元2年)、 南朝方の北畠顕家に攻められ落城しています。 |
犬懸橋から華の橋まで設けられた歩道。 |
廣瀬橋 |
華ノ橋 この橋を渡れば報国寺の参道です。 |
浄妙寺 鎌倉五山第五位。 鎌倉の地名の由来となった鎌足伝説の残る寺です。 |
稲荷小路の庚申塔 六浦道から少しはずれますが、稲荷小路の庚申塔です。 鎌倉市の有形民俗資料となっています。 稲荷小路は各地にありますが、浄明寺の稲荷小路は、 浄妙寺の鎌足稲荷への参道です。 |
青砥藤綱邸跡 再び六浦道に戻ります。 平行して流れる滑川に架かる「青砥橋」を渡ると、 五代執権北条時頼に仕えたといわれる青砥藤綱邸の跡碑が建てられています。 実在の人物かどうか不明なのですが、 東勝寺橋での伝説は有名な話となっています。 |
足利公方邸跡 浄妙寺を建立した足利義兼以来、代々の足利氏が住んだ所です。 室町時代には、足利基氏をはじめとする鎌倉公方の屋敷となりました。 鎌倉方面から行くと見逃してしまうかもしれませんが、 滑川の「虹の橋」の向かいにあります。 |
泉水橋交差点 ここから、六浦道をはずれて滑川を渡ると松久寺があります。 昭和41年に東京から移ってきた曹洞宗の寺です。 また、東泉水やぐら群があって、 五輪塔や宝篋印塔を浮き彫りにした「やぐら」があります。 |
二ツ橋 この橋には「けがなし石」の伝説が残されています。 二ツ橋手前、滑川沿いの公園には、 仁和寺発祥といわれる御衣黄が植えられています。 |
御衣黄
明王院 四代将軍藤原頼経が建てた真言宗の寺です。 五大明王が祀られているので「五大堂」とも呼ばれています。 左に入る道の奥には梶原景時の屋敷があったといわれています。 また、明王院背後の山はハイキングコースとなっていて、 瑞泉寺や天園ハイキングコースとも通じています。 |
明石橋交差点付近の墓塔 mamataro氏の調査によると、 「明王院の歴代住職の墓と考えられるが、 現在は金沢区の龍華寺の管理となっている」とのことです。 |
大江広元邸跡 大江広元は源頼朝の片腕として活躍し政所の別当を務めた人物です。 1225年(嘉禄元年)に亡くなりますが、 源頼朝墓(法華堂跡)の東の山にも大江広元墓と呼ばれる「やぐら」がありますが、 あちらは、おそらく江戸時代に建てられた五輪塔かと思われます。 |
大慈寺跡 三代将軍源実朝が父頼朝への感謝の意味で建立した寺と伝えられています。 新御堂とも呼ばれた壮大な寺院でしたが廃寺となりました。 円覚寺舎利殿の仏舎利は、この大慈寺に納められていたものです。 |
光触寺橋
光触寺 頬焼阿弥陀と塩嘗地蔵の伝説で知られている時宗の寺です。 |
塩嘗地蔵 六浦道は大切な「塩の道」でした。 それを今に伝えているのがこのお地蔵さまです。 |
~六浦道の散策~
その1(筋違橋~光触寺)←→その2(朝夷奈切通)←→その3(上総介塔~瀬戸神社)