「横大路」は、六浦道の中の一部で大倉幕府の南門前(南御門前)の通りであると考えられています。
太鼓橋
もとは朱塗りの橋でしたので「赤橋」と呼ばれていたようです。
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鶴岡八幡宮前の交差点 ←鉄ノ井 宝戒寺→ |
横小路振興会の看板
通りの街灯には「横小路振興会」と宣伝されています。
『新編相模国風土記稿』では、
「大路」か「小路」かなどの名称、「どこからどこまでか」の範囲などに関係なく、
重要な道であったことは確かです。
したがいまして、横大路(又は横小路)が「どこからどこまでの道か」は、
時代によって変化していたものと考えることにしたいと思います。
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鎌倉彫の後藤会 https://www.yoritomo-japan.com/sangyo/kamakurabori.htm |
鶴岡八幡宮東側
横大路から鶴岡八幡宮の東鳥居へと通ずる小路です。
すぐ左側には築山稲荷社があります。
この小路は秋のヒガンバナで知られている通りです。
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築山稲荷社
宝戒寺
後醍醐天皇が北条一族の菩提を弔うために、
足利尊氏に命じて建立させた寺です。
北条氏代々の執権館のあった所といわれています。
「ハギの寺」として知られている寺です。
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宝戒寺前の標識 横大路は左方面です。 |
筋違橋
鎌倉十橋に数えられていた橋ですが、
現在は橋標と石碑が残されているだけです。
この橋は、小町大路や六浦道(路)の起点ですし、
1247年(宝治元年)に起こった宝治合戦の戦端となった場所です。
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筋違橋付近はこのようにカーブしています。 |
西大路 |
源頼朝墓参道(南御門)
この路地を入ると源頼朝の墓です(法華堂跡)。
当初、ここを中心に左右に走る道を「横大路」と呼んだものと思われます。
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岐れ道
左が鎌倉宮の参道です。
ここから先は六浦道(路)で紹介いたします。
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横大路につきましては有力な説が少ないのですが、
①多くの歴史的な場面で横大路の名が出ていること、
②鶴岡八幡宮、そして、メイン通りの若宮大路から派生する道であり、
③様々な重要な道に連結していなければいけないこと
等を考えると、「横」という意味をかなり大きく捉えてもいいのかもしれません。
鎌倉手帳
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