別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月9日火曜日

鎌倉宮参道

鎌倉宮は、悲運の皇子護良親王を祀るために、明治天皇が自ら創建した神社です。六浦道(金沢街道)の岐れ道交差点の斜め左方向が鎌倉宮の参道です。



岐れ道交差点

交差点には覚園寺を案内した道標もあります。

「お宮通り」と呼ばれているようです。

魔の淵の地蔵
魔の淵呼ばれた川に、杉本寺住職の発願で安置されたお地蔵さま。
染屋時忠の伝説も残されています。
参考:魔の淵のお地蔵さま(鎌倉伝説集)

魔の淵のお地蔵さまの横の橋には、
「大倉耕地橋」と標示されています。
この辺りは「大倉耕地」という地名だったようです。
鎌倉時代には、大倉幕府があった所です。

「大倉耕地橋」の少し先が東御門への道です。

荏柄天神社参道
途中で荏柄天神社の参道と交差します。

荏柄天神社
https://www.yoritomo-japan.com/page041egaratenjinjya.htm

左は荏柄天神社です。
右は、二階堂大路を抜けて六浦道に出る道です。

鎌倉宮の参道は、
もとはこの道ではなく、関取場からお宮に通じていたそうです。
つまり、二階堂大路鎌倉宮の参道だったということになります。
(一直線ではなく、かなり曲がっていたものと思われます。)
その後、今のように一直線の参道が整備されたものと考えられています。

鎌倉宮
明治天皇創建の神社。
護良親王が幽閉された東光寺の跡ともいわれ、
境内には幽閉された土牢が残されています。
護良親王は、1335年(建武2年)、
足利直義が差し向けた淵辺義博に暗殺されました。
捨てられた親王の首が理智光寺の住職によって葬られたと伝えられています。


鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

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