別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月8日月曜日

六浦道(路)その2~鎌倉七口:朝夷奈切通~

朝夷奈切通鎌倉七口の一つに数えられ、鎌倉と六浦とを結ぶ重要な道でした。


和田義盛の三男朝比奈三郎義秀が一夜にして切り開いたとの伝承も残されていますが、1241年(仁治2年)に三代執権北条泰時によって開かれた道です。



光触寺から滑川に沿って進んで行きます。


 十二所神社

左手に十二所神社が見えてきたら右に折れます。


 石地蔵




 切通庚申塚

高い位置に庚申塔

この辺りは朝夷奈砦と呼ばれた所です。

この庚申塔は、その土塁の上に建てられたのかもしれません。


泉 橋

この橋から滑川の支流太刀洗川に沿って進みます。


 聖観音のやぐら





流れもだいぶ変わってきました。


 梶原太刀洗水

上総介広常を暗殺した梶原景時が太刀を洗った所と伝えられています。

鎌倉五名水の一つに数えられている泉です。

上総介広常の屋敷は朝夷奈切通の入口付近にあったということですので、おそらくこの辺りだったのでしょう。


別れ道

左が朝夷奈切通、右が十二所果樹園





 朝夷奈の滝


 朝夷奈切通














 熊野神社
熊野神社への道

熊野神社源頼朝の勧請といわれています。

現在は、朝比奈町の鎮守として親しまれています。

参考:静寂の熊野神社から十二所果樹園を経て光触寺へ
https://okadosblog.blogspot.com/2011/02/blog-post_46.html



上は横浜横須賀道路

六浦側入口の庚申塔


榧(カヤ)の古木

ここを過ぎると環状4号線に出ます。


六浦道は、鎌倉への重要な物資輸送路でした。

特に塩は鎌倉の浜では製塩出来なかったため、六浦津のものを運んでいました。光触寺塩嘗地蔵の伝説がそれを伝えています。

また、朝夷奈切通は物資輸送のためだけでなく、防衛施設の役割も果たしていました。


~六浦道の散策~



 鎌倉手帳


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