別冊『鎌倉手帳』

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2010年11月3日水曜日

二階堂大路の散策(関取場~瑞泉寺)

現在は「二階堂小路」とも呼ばれているようです。

六浦路(金沢街道)の関取場付近から二階堂川に沿って、鎌倉宮永福寺瑞泉寺と通じている道です。鎌倉宮の参道だった時代もあったようです。

二階堂という地名は、永福寺の本堂「二階堂」からきているもので、永福寺への道として「二階堂大路」と称されていたと考えられます。


関取場跡
関取場付近から二階堂川沿いの道を辿り、
鎌倉宮の脇を通って永福寺跡を抜け通玄橋渡り瑞泉寺へと至る道。

二階堂川沿いに鎌倉宮へ・・・

「北条御一門御廟所」の石標
瑞泉寺の裏山には北条高時が葬られたと伝わるやぐらがあります。

日本画家「故平山郁夫邸」
文化勲章受章者で、日本美術院理事長も務めました。
鎌倉市の名誉市民。平成21年12月に亡くなっています。

理智光寺橋
平山邸を過ぎ、二階堂大路から少し離れて理智光寺橋を渡ると、
廃寺となった理智光跡碑護良親王の御廟所があります。

理智光寺跡碑
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041ritikoji.htm

護良親王の墓
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041morinaga.htm
護良親王は足利尊氏と対立し東光寺に幽閉されます。
鎌倉宮には親王が幽閉されていたという土牢が残されています。
1335年(建武2年)、北条高時の遺児時行が反乱を起こすと、
親王は、尊氏の弟直義によって殺されてしまいました。
親王の首は理智光寺の住職によって葬られたと伝えられています。

永福寺跡
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page042yofukuji.htm
再び理智光寺橋を渡って二階堂大路に戻るとすぐに永福寺跡となります。
1192年(建久3年)、
源頼朝が奥州の「中尊寺」や「毛越寺」を模して建てた壮大な寺院でした。

通玄橋
永福寺跡から通玄橋を渡ります。
「通玄」とは、「真理」に通ずるという意味であるといいます。
(参考:通玄橋と石碑(道標):鎌倉

荏柄天神社御旅所
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041egaratenjinjya.htm

瑞泉寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page042zuisenji.htm


鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

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