平安時代、病気の原因は物の怪(怨霊)の仕わざと信じられていました。
そのため、病人が出ると物の怪退散の加持祈祷(調伏)が行われたようです。
「光る君へ」第5話では、五節の舞の後に倒れてしまった主人公・まひろ(紫式部)にとりついた物の怪の調伏が行われ、物の怪の正体は、まひろの母・ちやはだったようです。
調伏の前に、験者はちやはが亡くなっていることを聞いて知っていたようですが・・・
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『源氏物語』~若紫の巻~では、瘧病(わらはやみ・感染症)に罹ってしまった光源氏は、3月晦日、加持祈祷のため北山の某寺に出かけています。
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清少納言の『枕草子』では、自信ありそうな験者が調伏を始めますが・・・
長時間経っても物の怪が現れず、ついには大あくびをして横になってしまったのだとか。
調伏では、物の怪を「憑座」(よりまし)に移して、その正体を見極めていたようです。
「憑座」とは、験者や巫子が神降ろしをする際に、神霊を乗り移らせる童子や人形のこと。
清少納言は、物の怪を憑座に移すことが出来ない験者を「すさまじきもの」(興覚めするもの)と言っています。
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『源氏物語』~若紫の巻~で光源氏が訪れた北山の某寺は、大雲寺がモデルといわれます。
光源氏は某寺で最愛の妻となる紫の上に出逢っています。
大雲寺を創建したのは藤原文範。
紫式部の曾祖父にあたるようです。
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