藤原実資の最初の娘は、985年(寛和元年)4月28日の誕生。
実資は、毎月18日に清水寺参詣を心がけ、娘にも清水寺に参詣・参籠させていたようです。
ただ、娘は病弱だったらしく、病気平癒のため清水寺参詣や薬師如来の造立など種々の手段を講じますが、990年(正暦元年)7月12日に亡くなっています。
悲嘆にくれた実資ですが・・・
8月20日には女児誕生祈願のため、仏師蓮胤に如意輪観音を造立させ、翌日には如意輪観音を比叡山の慶円房に移し、長谷寺には叡増を遣わしています。
9月5日から12日にかけては石山寺や長谷寺で祈願。
しかし、女児が誕生したのは、それから20年以上もたってからのこと。
誕生したのは「かぐや姫」と愛称を付けたという藤原千古(ふじわらのちふる)でした。
「光る君へ」で主人公の紫式部に付けられた名は「まひろ」。
最初は「ちふる」という名にしようとしたのだそうですが、実資の娘・千古(ちふる)がいたためダメだったのだとか。
比叡山の慶円は、実資の母方伯父。
庶子・良円は幼い頃に慶円に預けられて出家しています。
藤原道綱母も長谷寺と石山寺に子宝祈願を行っています。
石山寺の本尊は如意輪観音。
実資が60回を超える参詣をしていたという六角堂の本尊も如意輪観音。
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