『吾妻鏡』によると・・・
1219年(建保7年)正月27日、甥の公暁に暗殺された源実朝は、勝長寿院に葬られました。
ただ、首は公暁が持ち去って行方がわからなかったため、首の代わりに髪の毛が葬られたのだそうです。
なぜ髪の毛があったのか・・・
実朝は拝賀式に出掛ける前に
「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」
と詠み、御髪上げに奉仕した宮内公氏に髪の毛を形見として与えていたのだとか。
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伝承によると・・・
公暁が持ち去った実朝の首は、長尾定景とともに公暁追討を命じられた武常晴が拾い上げ、波多野の地に葬ったのだといいます。
武常晴は、三浦一族で武の地を領した武義国の子。
父の義国は1213年(建暦)の和田合戦で棟梁の三浦義村には従わず、和田義盛に加勢するため、たった一騎で出陣して討死した武将として知られています。
実朝の首を手に入れた常晴は、三浦義村と仲の悪かった波多野忠綱を頼って波多野の地に埋葬したのだと伝えられています。
(秦野市)
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