第15話では、頼朝の挙兵に二万騎もの兵を従えて参陣し、頼朝の鎌倉入りを支えた上総広常が誅殺されました。
1183年(寿永2年)12月の事でした。
『吾妻鏡』は寿永2年が欠落しているため詳しいことは不明ですが、翌年1月に広常が玉前神社に奉納した鎧から願文が見つかり、頼朝は広常を殺してしまったことを悔やんだとされています。
一方、義経が近江国に達し、都では木曽義仲が後白河法皇の法住寺殿を焼討ち。
いよいよ本格的な源平の戦いが始まるようです。
そして、伊豆では八重姫がのちの北条泰時を出産。
次回は義経が活躍しそうです。
上総権介平広常公顕彰碑
『吾妻鏡』によると、
1182年(治承6年)7月、上総広常は玉前神社に鎧を奉納。
そこには、源頼朝の祈願成就と東国泰平を祈った願文が結び付けてありました。
朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ古道。
鎌倉側の入口付近には、上総広常の屋敷があったのだと伝えられています。
朝夷奈切通にある梶原太刀洗水は、上総広常を暗殺した梶原景時が太刀の血のりを洗い流したという伝説の水。
朝比奈のバス通りにある五輪塔(上総介塔)は、上総介広常の墓といわれています。
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