1183年(寿永2年)11月、源頼朝は木曽義仲追討の先発として源義経を近江国へ派遣。
一方、頼朝の上洛を恐れる義仲は、後白河法皇の法住寺殿を襲撃し、法皇を幽閉します。
三十三間堂は法住寺殿の一画に建立された蓮華王院の本堂。
法住寺殿は、後白河法皇の院御所
院庁内には、延暦寺の日吉社と熊野三山から新日吉社と新熊野社が勧請されました。
三十三間堂には法住寺殿址の碑が建てられています。
三十三間堂の東には、後白河法皇ゆかりの法住寺があります。
本尊の不動明王は、木曽義仲が法住寺殿を襲撃した際、後白河法皇の身代わりなったと伝えられている尊像。
法住寺合戦では天台座主(延暦寺の貫主)だった明雲が討たれますが、法皇は「不動尊が明雲となって我が身を救ってくれた」と涙をこぼしたのだと伝えられています。
鎌倉との繋がりを求めて。
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