別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年8月14日日曜日

『吾妻鏡』が伝える比企邸襲撃




1203年(建仁3年)9月2日、北条時政邸で比企能員が暗殺されます。

能員暗殺の知らせを受けた比企一族やその郎党は、源頼家の嫡男の一幡の館(小御所)に籠って防戦体制を整えますが・・・


未の三刻(午後2時半頃)、北条政子が比企一族を滅ぼすよう命令を下します。

派遣されたのは、北条義時北条泰時平賀朝雅小山朝政・長沼宗政・結城朝光畠山重忠・榛谷重朝・三浦義村和田義盛・和田常盛・和田景長・土肥惟光・後藤信康・所朝光・尾藤知景・工藤行光・金窪行親・加藤景廉・加藤景朝・仁田忠常らの大軍勢。

北条軍に攻めかかられた比企軍は、能員の子比企宗員・比企時員・比企五郎、川原田次郎(比企能員の猶子)、能員の娘婿の笠原親景・中山爲重・糟谷有季らが死を賭して防戦。

申の刻(午後4時頃)まで激戦が続き、北条軍は加藤景朝・加藤景廉らが負傷して後退しますが、畠山重忠が力の残っている郎党に入れ替えて攻め込むと、比企軍はその威力に適わず、館に火を放って一幡の前で自刃したのだといいます。

一幡もこの災難を逃れることはできませんでした。

能員の嫡子だった与一兵衛尉は女装して逃亡をはかりますが、加藤景廉に梟首され、能員の妻の父渋川刑部丞も処刑されました。



比企一族の供養塔
(妙本寺)

一幡の袖塚
(妙本寺)



比企能員の暗殺・比企氏滅亡


妙本寺








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