源氏再興を祈願して以来、三嶋大社を崇敬していた源頼朝は、毎年四度の祭礼に詣でることを誓っていたそうですが、鎌倉からは遠く、なかなか思いどおりにはいきませんでした。
そこで、安久村(現在の三島市中郷地区)の由緒正
しい百姓七人を選び、大祭に輪番で代参するよう命じました。
代参者は、頼朝を名乗ることが許され、征夷大将軍の装束と左折金帽子が与えられました。
その出で立ちは、鎌倉殿に少しも異ならなかったそうで、七人の頼朝は、毎年、輪番を違わずに社参したのだそうです。
この代参の頼朝は、「よりとも」ではなく「らいちょう」と呼ばれていたそうです。
これは「在庁」(ざいちょう)を意味していたのだといいます。
そして、安久村から間眠神社横を通って三嶋大社へ向かう道は「在庁道」・「頼朝道」と呼ばれていました。
代参は明治の初めまで行われていたそうです。
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