鎌倉歴史文化交流館のある場所には、京都の泉涌寺末の無量寺があったのだといいます。
無量寺は安達邸内にあった寺院ともいわれ、『吾妻鏡』によると、1265年(文永2年)、安達義景の十三回忌供養が行われています。
古くから安達館は、甘縄神明神社の東南あたりがそうではないかと伝えられてきたようですが、近年では無量寺ヶ谷(現在の扇ガ谷)にあったと考えられているようです。
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(参考:明王院建設計画)
『吾妻鏡』によると・・・
四代将軍藤原(九条)頼経による創建とされる明王院は、その建設予定地が二階堂→甘縄→大倉と変更されました。
甘縄に変更されたときには「安達義景の南、千葉時胤の北、西山の周辺」と記されています。
千葉氏の屋敷は市役所の北側辺りにあったのだといわれています。
甘縄というと長谷の甘縄神明神社近辺と考えてしまうかもしれませんが、鎌倉時代の甘縄の範囲は坂ノ下の御霊神社辺りから扇ヶ谷を含めた広範な地だったようです。
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