松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期に渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。
気比の松原付近にあったといわれていますが、その正確な場所は不明。
928年(延長6年)に渤海は滅亡しますが、松原客館は渤海滅亡後も、宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設として使用されていたようです。
996年(長徳元年)、紫式部の父・藤原為時は、その前年から越前国に滞在していた宋の商人・朱仁聡らの交渉相手として越前守に任命されたといわれています。
のちに紫式部は『源氏物語』を書き始めますが、桐壺巻には・・・
桐壺帝が幼い光源氏を都の鴻臚館に滞在していた高麗人に人相占いさせている様子を描いています。
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