清少納言は『枕草子』の「節は五月にしく月はなし」の段にこう書き記しています。
「さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある」
(毎年のことだからといって、春に咲く桜の花をどうでもいいと思う人がいるのだろうか。いや、そんな人はいませんね。)
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清少納言にとって桜と仕えた中宮・藤原定子は特別なもの。
『枕草子』には満開の桜の描写はありますが、散る桜はないようです。
995年(長徳元年)、関白だった藤原道隆が薨去。
翌年には、道隆の嫡男・伊周が長徳の変を起こして失脚。
娘の定子も苦境の日々を送りました。
『枕草子』は、定子のために書かれた随筆。
清少納言は、中関白家(道隆一族)の衰退を連想させる「散る桜」は描かず、常に満開の桜を描きました。
📎桜は中宮・藤原定子!~清少納言が描いた桜は、散らない桜!~
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