紫式部は、1005年(寛弘2年)頃に一条天皇の中宮・藤原彰子の女房として出仕したとされていますが・・・
実は、その前に誰かに仕えていたという説があります。
その理由は「式部」という女房名にあるようです。
紫式部は、初め「藤式部」と呼ばれていたようです。
「藤」は藤原氏だから。
「式部」は父の藤原為時が「式部丞」だったから。
となると・・・
為時が式部丞になったのは984年(永観2年)のこと。
996年(長徳2年)には越前守となっていることから、この間に式部という名が付けられたということになります。
では、紫式部が仕えていた人物とは・・・
藤原道長の妻となる源倫子と考えられるようです。
紫式部は、夫の藤原宣孝を亡くした後に書き始めた『源氏物語』が評判となり、藤原道長の要請によって、1005年(寛弘2年)から藤原彰子に仕えるようになったのだとされていますが・・・
それ以前に倫子に仕えていたとするなら、道長と紫式部の信頼関係は、彰子に仕える前から出来上がっていたことになります。
土御門殿は、源倫子の父・源雅信が建設した邸宅。
のちに藤原道長が継承。
紫式部が倫子に仕えていたとすると、初出仕の場所は土御門殿ということになります。
蘆山寺は紫式部の邸跡に建てられた寺。
紫式部邸は、土御門殿と東京極大路を挟んだ筋向いにありました。
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