1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した徳川家康は、遺言どおりに久能山に埋葬されますが・・・
その際、家康の神号をどうするかが問題となり、「黒衣の宰相」と呼ばれる崇伝と天海が対立します。
崇伝は「明神」を主張し、天海は「権現」を主張しましたが・・・
「明神」は豊臣秀吉の豊国大明神と同じとなり、豊臣家と同じ末路になるという天海の主張が受け入れられ、「権現」となったのだとか。
翌年、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられています。
(京都)
豊国神社は、豊臣秀吉を祀る神社。
1599年(慶長4年)に創建されますが、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家康により取り壊されてしまいました。
再興されたのは1868年(明治元年)のこと。
久能山東照宮は、徳川家康を祀る東照宮の創祀。
死去から1年後、家康の遺骸は日光山に改葬され、日光東照宮が創建されました。
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