大江広元は平安貴族・大江維光の子。
1184年(元暦元年)、源頼朝に招かれて鎌倉に下向。
公文所(のちの政所)の別当に任じられました。
中原親能は広元の兄といわれています。
鎌倉と六浦を結ぶ六浦道(金沢街道)沿いに屋敷があったそうです。
大江稲荷は大江広元を祀る神社。
明王院は四代将軍・藤原頼経の発願で創建された寺。
大江稲荷の御神体は明王院に置かれています。
源頼朝墓の東、北条義時法華堂跡の上には、大江広元とその子毛利季光、そして頼朝の御落胤ともいわれる島津忠久の墓が並んでいます。
大江広元
毛利季光
島津忠久
一文字三星
一文字三星は毛利氏の紋。
毛利季光は広元の所領のうち毛利荘を相続したことから「毛利」を名乗りました。
戦国時代に活躍した毛利元就は、季光の四男経光の子孫。
(厚木市)
三島神社は、季光の屋敷跡の一画にあって、毛利氏発祥の地といわれています。
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