「鎌倉殿の13人」第16話では、北条義時と八重姫の子は源頼朝に金剛と名づけられました。
のちの北条泰時です。
そして、第16話に登場したのが三浦義村の娘。
おそらく、1202年(建仁2年)8月23日に泰時と結婚することになる娘という設定なのかと・・・・
『吾妻鏡』によると、義村の娘との結婚は、1194年(建久5年)2月2日の元服式で三浦義澄が頼朝の側に呼ばれ、孫娘を娶らせる約束をしていたからなのだとか。
二人の間には、翌年長男の時氏が誕生しますが、その後、泰時は義村の娘と離婚。
義村の娘は、佐原盛連に再嫁して光盛・盛時・時連を産み、盛連の死後に出家して矢部禅尼と称しました。
八重姫は・・・
『吾妻鏡』によると、義時は1192年(建久3年)9月25日に比企朝宗の娘・姫の前を正室にむかえているので、その前に亡くなっているのかもしれません。
何か悲しい事件が起こって、伊豆の国市の真珠院に伝えれるように入水してしまうのかも・・・
(鎌倉:常楽寺)
北条泰時は、裁判の迅速化を図るための連署や評定衆の設置し、武家の法典である「御成敗式目」(貞永式目)を制定した人物。
北条執権体制の基礎を固めました。
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2022年の大河ドラマ