木曽義仲の嫡男で鎌倉に人質として送られてきた義高は「清水冠者」と呼ばれます。
「冠者」とは元服したばかりの若者のこと。
では「清水」は・・・
地名と考えるべきなのでしょう。
参考までに・・・
義高の父義仲も「清水冠者」と呼ばれていたのだといいます。
義仲が生まれたのは武蔵国の大蔵館(現在の埼玉県嵐山町)。
隣地の鎌形には七カ所の湧水があって、古来より「鎌形の七清水」と呼ばれていたそうです。
その一つが鎌形八幡宮の「義仲の産湯の清水」。
清水の湧き出す地は「清水」と呼ばれる地が多く、鎌形の地も「清水」と呼ばれていた可能性があるようです。
鎌形という名の由来には、鎌倉の鶴岡八幡宮に社殿が似ているからという説があるようです。
義高も鎌形で誕生したという言い伝えもあるようですが、木曽谷の義仲館で生まれたと考えるべきなのでしょうか・・・
木曽谷にも清水と呼ばれた地がたくさんあったのかもしれません。
義高の出生地については、全国各地に伝説が残され、小諸市の「弁天の清水」や松本市の「槻井泉神社の湧水」などが「清水冠者」の名の由来とされるているようです。
(木曽町:旗挙八幡宮)
旗挙八幡宮の周辺が義仲館だったようです。