1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をした頼朝。
伊豆の目代山木兼隆を討ち、相模へ向けて軍を進めますが、石橋山の戦いでは大庭景親に大敗して山中に逃げ込みます。
『吾妻鏡』によると・・・
その時、頼朝は、髷に観音像を入れていました。
しかし、景親ら平家方に捕まったときに「観音像を本尊としていたのでは源氏の棟梁らしくない」と非難されてしまうと考え、観音像を山中の洞窟に置いて逃げたそうです。
その後・・・
安房で再起して鎌倉入りを果たした頼朝。
洞窟に置いてきた観音像を伊豆山権現の專光坊良暹に探させました。
そして・・・
12月25日、良暹の弟子僧が見つ出して頼朝に届けられたのだといいます。
(熱海市)
頼朝が観音像を置いたという岩窟
(湯河原町)
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1189年(文治5年)、頼朝は御所の裏山に奥州征伐の祈願所を設けます。
本尊は守り本尊の「二寸銀の正(聖)観音像」。
これが頼朝の持仏堂。
1199年(建久10年)正月13日に亡くなった頼朝は、持仏堂に葬られました。
その後、持仏堂は法華堂と呼ばれました。
現在、法華堂があったとされる場所には供養塔が建てられています。
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