『吾妻鏡』によると・・・
源頼朝は1194年(建久5年)閏8月1日に山荘を建てるため三崎の津に出かけています。
三崎の白浪と青山の景色は、極めて優れていたようです。
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大椿寺は、源頼朝の椿の御所跡に建てられた臨済宗妙心寺派の寺。
開基は頼朝の妾として椿の御所に住んでいた妙悟尼。
開山は建長寺の旭永。
本尊は十一面観世音菩薩。
1199年(建久10年)に頼朝が亡くなると、妙悟尼は旭永に大椿寺を開かせ、自らは尼となって頼朝の菩提をと弔ったのだと伝えられています。
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本瑞寺は、源頼朝の桜の御所跡に建てられた曹洞宗の寺。
頼朝は、ここに千本の桜を植えさせて花見を楽しんだのだとか・・・
開基は、戦国期の三浦氏の最後の当主・三浦義同(道寸)の嫡男・義意と伝えられています。
本尊は延命地蔵菩薩
保存されている室町時代の梵鐘は三崎最古。
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見桃寺は、源頼朝の桃の御所跡に建てられた臨済宗妙心寺派の寺。
三崎船奉行だあった向井正綱が1616年(元和2年)に創建。
開山は玄虎。
本尊は聖観世音菩薩。
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現在は陸続きですが、鎌倉時代は離れ島で兜に似ていたことから「兜島」と呼ばれていたという歌舞島。
源頼朝が歌舞や酒宴を楽しんだことから歌舞島と呼ばれるようになったのだとか。
また、三浦義村の招きで訪れた四代将軍の藤原頼経が「来迎の儀」を行い、読経歌舞を催したことからとも伝えられています。
歌の町の碑
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