995年(長徳元年)、北宋の商人・朱仁聡ら70余名が若狭国に来航。
藤原道長は、彼らを越前国へ移します。
そして翌年、越前守に任じられたのは紫式部の父・藤原為時。
越前国へ下向した為時は、宋人と詩をやりとりして懐柔に務めたのだとか。
為時の越前下向には紫式部も同行しました。
越前国府があった越前市武生には、紫式部の越前下向を記念して紫式部公園が整備されています。
若狭国から越前国へ移された朱仁聡らは、越前国府ではなく敦賀の松原客館に滞在していたものと考えられています。
松原客館は、宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設で気比の松原もしくは気比神宮の近くにあったのと言われています。
為時は、得意の漢詩で宋人と交流を深めたようです。
異国の人の存在は、紫式部にも影響を与えたのかもしれません。
『源氏物語』では、光源氏は高麗人に人相占いをしてもらっています。
📎宋人と詩を唱和した紫式部の父・藤原為時
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