『古事談』によると・・・
花山天皇は頭痛に悩んでいたようです。
特に雨の日はひどかったらしい・・・
それを救ったのが陰陽師・安倍晴明。
晴明は花山天皇にこう申し上げます。
「帝の前世は徳のある行者。
大峯山で亡くなりましたが、前世の徳により天皇として生まれ変わりました。
ただ、前世の髑髏が岩の間に落ちて挟まっています。
そのため雨の日に岩がふくらんで圧迫しているのです。
大峯の髑髏を取り出して広い所に置けば治癒するでしょう」
花山天皇は、晴明が指定した場所に使者を出し、髑髏を岩間から取り出させます。
以後、花山天皇は頭痛に悩むことはなくなったのだとか。
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花山天皇が即位したのは984年(永観2年)。
しかし、翌年、寵愛していた女御の藤原忯子が死去すると、悲しみのあまりに出家を考えはじめます。
花山天皇に信任されていた藤原義懐と権勢を争っていた藤原兼家は、この機に、次女の詮子が生んだ懐仁親王を皇位につけるため動き始めます。
兼家は、蔵人として花山天皇に仕えていた三男・道兼に出家を勧めさせます。
そして、986年( 寛和2年)6月23日、道兼に連れられて内裏を抜け出した花山天皇は元慶寺で出家しました(寛和の変)。
在位期間は僅か2年でした。
花山院菩提寺は、花山法皇が隠棲した地。
花山法皇が西国観音霊場三十三ヶ所の中興の祖とされることから、霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。
西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。
菩提寺の御詠歌「有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風」も花山法皇が詠んだ歌。
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