「光る君へ」第4話で、まひろ(紫式部)が舞ったのは、984年(永観2年)の新嘗祭の豊明節会だったようです。
新嘗祭は、その年の五穀豊穣を感謝する祭。
平安時代の新嘗祭は、11月の中卯・辰の2日にわたって行われていました。
天皇が即位した後の新嘗祭は「大嘗祭」と呼ばれますが、即位した年ではなく翌年になることもありました。
花山天皇は984年(永観2年)に即位しますが、8月だったので大嘗祭は翌年に行われています。
「光る君へ」の五節の舞姫は4人でした。
大嘗祭での舞姫は5人が慣例になっていたそうなので、舞姫の人数からすると、まひろが舞った年は新嘗祭だったということになります。
では即位が8月だと、なぜ大嘗祭が翌年になってしまうのか・・・
紫式部の時代、五節の舞姫は公卿や受領の配下の娘が選ばれていたようです。
娘を五節の舞姫として献上する者は、数か月前から準備を進めていました。
献上者の経済的負担も大きかったようなので、一人増やすのは大変な事だったのかと思われます。
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