金剛三昧院は、1211年(建暦元年)、北条政子が源頼朝の菩提を弔うために発願した禅定院に始まるといわれています。
1219年(承久元年)、三代将軍の源実朝が暗殺されると、実朝の菩提を弔うため、政子の命により安達景盛を奉行として伽藍造営が進められ、金剛三昧院となったようです(諸説り)。
かつて、金剛三昧院には二基の多宝塔があったそうです。
現存するのは頼朝の墳墓堂。
そして、もう一基は実朝の墳墓堂。
実朝の養育係だった大弐局の発願によるものだったのだといいます。
横浜の称名寺の塔頭光明院の大威徳明王も大弐局の発願です。
金剛三昧院を造営した安達景盛は、伊豆の流人頼朝を支えた安達盛長の長男。
母は比企尼の長女丹後内侍。
実朝が暗殺された後、京都に戻って実朝の菩提寺・遍照心院を建立した正妻・坊門姫(西八条禅尼)は・・・
寺に何か問題が起こったときは安達泰盛(景盛の孫)を頼るようにと遺言して亡くなったのだといいます。
鎌倉歴史文化交流館は、安達氏の館跡という説も。
特集展示「洪鐘祭-60年に一度の祭礼の記録-」も開催されています。
洪鐘祭は円覚寺弁財天の祭礼で、10月29日に開催される予定です。
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