清少納言の『枕草子』には、見物に値する行事として、石清水の臨時祭・賀茂の臨時祭・天皇の行幸・斎王の還御・摂政関白の賀茂詣が挙げられています。
賀茂詣は、賀茂祭の前日に摂政・関白が賀茂社を参拝すること。
『吾妻鏡』によると、1195年(建久6年)、東大寺の大仏殿落慶供養参列のため上洛していた源頼朝は、御家人たちに関白九条兼実の賀茂詣の見物を禁止しています。
この上洛で頼朝は、これまで協力してきた兼実と敵対関係にある丹後局と源通親に接近し、長女大姫の入内運動を行っています。
そのため、この禁止令は、兼実との関係を断ち切ったことを意味するという説もあるようですが、どうなのでしょう?
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