源頼茂は、以仁王に平家打倒の令旨を発出させた源頼政の孫。
頼茂は在京の御家人で大内裏守護の任に就いていましたが・・・
1219年(承久元年)7月13日、後鳥羽上皇は頼茂のところへ軍を派遣して襲撃させます。
頼茂も応戦しますが、在所だった昭陽舎に火をかけて自刃。
何故、頼茂は襲撃されたのか?
三代将軍源実朝が暗殺された後、頼茂は将軍職を望んでいましたが・・・
朝廷と幕府が九条道長の子三寅を後継と決定してしまったため、謀反を企てていたのだとか・・・
この合戦で大内裏の主要殿舎が焼失。
すぐに再建に着手した後鳥羽上皇は、その費用を諸国に賦課しますが、東国の地頭らはこれを拒絶し、幕府も徴税に消極的だったのだといいます。
幕府の内紛が原因で起こった大内裏焼失も承久の乱の一因といわれています。
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