1182年(養和2年)4月5日、江の島で文覚が勧請した弁財天の供養が行われました。
源頼朝は、足利義兼・北条時政・新田義重・畠山重忠・下河辺行平・下河辺政義・結城朝光・上総広常・足立遠元・土肥実平・宇佐美実政・佐々木定綱・佐々木盛綱・和田義盛・三浦義連・佐野忠家らを連れて参列しています。
弁財天を勧請した理由は、奥州平泉の藤原秀衡を調伏するため。
この日、源頼朝は鳥居を寄進しました。
源頼朝が、奥州平泉の藤原秀衡調伏のために、文覚に命じて勧請したと伝わるもの。
鎌倉時代の独特の裸像で裸弁財天と呼ばれています。
奥津宮入口の石鳥居は、源頼朝寄進と伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆