興福寺の北円堂の本尊木造弥勒如来坐像は、1212年(建暦2年)に運慶らによって造立されたもの(国宝)。
鶴岡八幡宮の神宮寺にあったという銅像薬師如来像は、北条政子が1211年(建暦元年)に安置させたものと考えられています(重文)。
その原型は、慶派仏師によるものと考えられ、北円堂の弥勒如来坐像に通じるものがあるのだといいます。
銅像薬師如来像は、明治の神仏分離により壽福寺の所蔵となっています(鎌倉国宝館に寄託)。
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参考までに・・・
運慶は、鎌倉幕府と関係が深い仏師。
北条時政の願成就院の造仏、和田義盛の浄楽寺の造仏で知られています。
源頼朝の永福寺の造仏にも関わったと考えられ、北条義時の大倉薬師堂の造仏も手掛けています。
そして、北条政子や源実朝の養育係だった大弐局など鎌倉幕府の有力な女性とも結びついていました。
北条政子は、勝長寿院に建立した五仏堂の五大尊像(五大明王)を運慶に依頼しています。
称名寺の塔頭光明院の大威徳明王像は、大弐局の発願で運慶が造立しました。
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