担当は三浦義澄。
その後、弓始めが行われました。
計画されていたことではなかったようですが、橘右馬允公長の二人の息子が弓の達人だったからなのだそうです。
一番手射手
下河辺行平 対 愛甲季隆
二番手射手
橘公忠 対 橘公成
三番手射手
和田義盛 対 工藤行光
弓始めが終わると、御行始の儀があり、頼朝は安達盛長の甘縄邸へ入りました。
盛長は馬を賜わっています。
鶴岡八幡宮で正月5日に行われる除魔神事は、頼朝が「御的始」「御弓始」と称して行った武家の事始めを起源としています。
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(参考)
橘公長は、平知盛の家来だった武将。
傾き始めた平家政権に見切りをつけて、この前日に息子の公忠、公成を連れて鎌倉に到着したばかりでした。
後の1185年(元暦2年)6月21日、源義経に命ぜられ、近江国篠原宿で平宗盛を処刑しています。
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京都は七福神発祥の地