阿野全成は、源頼朝の異母弟。
母は常盤御前。
幼名は今若。
1159年(平治元年)に父義朝が平治の乱に敗れると、母と弟2人(乙若・牛若)とともに平清盛に捕らえられ、醍醐寺に預けられました。
1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、醍醐寺を抜け出し頼朝のもとへ駆けつけています。
そして、頼朝と一緒に鎌倉入りを果たしました。
その後、北条政子の妹保子と結婚し、駿河国の阿野荘を与えられ「阿野」の苗字を名乗りました。
1192年(建久3年)、源実朝が誕生する乳母夫となっています。
(沼津市)
頼朝の死後、源実朝を将軍に据えようとする北条時政の計画に加わりますが、1203年(建仁3年)、源頼家への謀叛の疑いで捕らえられ、常陸国へ流された後誅殺されました(阿野全成の誅殺)。
全成の屋敷があったという場所には、曹洞宗の大泉寺があります。
大泉寺は、全成が屋敷内に建てた持仏堂を前身としているといいます。
阿野全成と嫡子時元の墓
(大泉寺)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鎌倉との繋がりを求めて。