別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年12月6日月曜日

壽福寺から源氏山へ

壽福寺の背後は、源義家が源氏の白旗を立てたことにちなんで名付けられたという「源氏山」です。壽福寺裏の墓地から源氏山へ上る道があります。


源氏山の石碑
壽福寺の門前に建てられている石碑です。

碑には・・・、
源氏山は、「武庫山」(むこやま)とも、「亀谷山」(かめがやつやま)とも呼ばれていたようです。
そして、源頼義、義家の親子が源氏の旗を立てたことから「旗立山」とも呼ばれました。
さらに、壽福寺付近には源氏の邸宅がありました。
そういったことが「源氏山」という名の起こりといえそうです。
・・・というような内容の文が刻まれています。


壽福寺
鎌倉五山第三位の寺です。
一般的には、北条政子が建立した寺と伝えられています。
墓地には、北条政子と三代将軍源実朝の墓と伝わる「やぐら」があります。

墓地へと通ずる道です。

この洞門の先には、名刀正宗で知られる五郎入道正宗の「刃稲荷」があります。

源氏山への上り口です。

そして、かなり細い切通です。
人が一人通れる程度の幅です。
ずっとこんな道だとすると疲れますが、最初だけですのでご安心を・・・。

途中、壽福寺のやぐら群が見えます。

太田道灌の首塚
ここは、英勝寺の裏にあたります。
戦国武将太田道灌は、
扇谷上杉家に仕え江戸城を築いた人物として知られています。
現在の英勝寺のある地が道灌の邸跡と伝えられています。
道灌は、その才能を恐れた上杉定正によって伊勢原で暗殺されています。
~参考:太田道灌の墓~

源氏山
道灌の首塚を過ぎると源氏山です。
源頼朝像は、頼朝の鎌倉入り800年を記念して建立されました。


源氏山からは、様々な散策路が選択できます。
https://www.yoritomo-japan.com/page137genjiyama.htm


鎌倉手帳
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巡礼古道~衣張山~

衣張山という名は、ある夏の日、源頼朝がこの山に白い絹を張らせ、雪に見立てて鑑賞したという故事にちなんで付けられたといわれています。

そして、板東三十三ヶ所巡礼の第一番杉本寺から第二番岩殿寺への巡礼古道であったと考えられています。

名越切通とセットでハイキングを楽しむ方々が多いようです。


「鎌倉逗子ハイランド」から衣張山を越えて杉本寺を目指します。
標識に「巡礼古道」とありますが、こちらは報国寺から出ている巡礼古道です。
いずれにしても、板東観音巡礼の一番札所杉本寺から、
二番札所の逗子岩殿寺を結ぶ古道だったと考えられています。
残念なことですが、これらの巡礼古道は、宅地開発でほんの一部しか残されていません。
以前、岩殿寺のおばあさんがお話ししてくれましたが、
8月10日の「四万六千日」には、朝5時頃から巡礼者が集まって、
岩殿寺の裏山から杉本寺へ向かったのだそうです。
夏ですから「暑くならないうちに」ということなのでしょう。

この道は自然の素晴らしさが味わえる道です。
これは秋・冬の風景ですが、初夏の新緑の季節も素晴らしい景色です。

山頂手前の広場です。
特別な名称でもあるのでしょうか。

五輪塔なども並んでいます。もう少しで衣張山の山頂です。
この広場からは、最近まで北条時政の名越亭の跡だといわれてきた
「大町釈迦堂口遺跡」の下に出る道もあります。
大町巡りをしたい方はここで下山するといいかもしれません。

こちらは山頂の地蔵像と五輪塔

山頂からは鎌倉の街と相模の海が一望です。
遠くには富士山も見えます。

山頂から犬懸ヶ谷へと下り始めると・・・
かつての石切場があります。

その近くには五輪塔群がありました。

2人の子どもの石像です。

犬懸ヶ谷側からの登山道は、真っ直ぐ伸びたスギ林です。

ここが犬懸ヶ谷からの入口です。
平成巡礼道と掲げられていますが、「なぜ平成なのか」はわかりません。

ハイキングコースの入口から下ってくると「田楽辻子のみち」にあたります。
左は釈迦堂切通勝長寿院跡へ、右は報国寺です。
そして、真っ直ぐが杉本寺です。

滑川沿いを歩くと正面が犬懸橋です。
橋を渡れば左側が杉本寺です。

杉本寺
鎌倉最古の寺といわれ、板東観音巡礼の第一番札所としてしられています。
もちろん鎌倉観音巡礼の第一番札所でもあります。



伝説の古道:名越切通
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鎌倉手帳
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2010年12月5日日曜日

伝説の古道:名越切通

古くは日本武尊が通ったという名越切通

鎌倉時代には鎌倉防衛のための軍事施設として利用されていたものと考えられています。

日蓮名越切通を越えて鎌倉に入ったといわれ、名越松葉ヶ谷の庵で『立正安国論』を書いたと伝えられています。

鎌倉五名水の一つ「日蓮乞水」を案内する道標。
(JR横須賀線「名越踏切」)
まずは、名水を目指して・・・

日蓮乞水


伝説によると・・・1253年(建長5年)、名越切通を越えて鎌倉に入った日蓮が、水を求め、持っていた杖で地面を突き刺したところ水が湧き出したといいます。




日蓮乞水を過ぎJR横須賀線「名越坂踏切」を渡ると、「日朗菩薩墳墓霊場」と刻まれた道標があります。

日朗とは日蓮の弟子です。

案内標識に従って・・・

下をJR横須賀線が通っています。


=名越切通=
https://www.yoritomo-japan.com/kodou-5.htm

入口には地蔵菩薩立象と庚申塔

こんな感じの山道が続きます。



真ん中に大きな石が置いてあります。

わざと置かれているもので、大軍が容易に鎌倉に入ることができないようにするためのものなのだそうです。

つまり、わざと邪魔になるように置いてあるわけですなぁ~。

(参考:鎌倉七口:名越切通の機能


まんだら堂やぐら群の入口

「まんだら堂やぐら群」は、多くの貴重な「やぐら」が残されている所ですが、現在は整備中で立ち入り禁止です。

(※たまに臨時公開をしているようですので情報をご確認ください。)


切通らしい雰囲気になってきました。
突きだした岩が威圧感を与える道です。

亀が岡団地からの入口付近の切通です。

上から見た切通


この切通が終わると出口ですので、さきほどの真ん中に石が置いてあったところまで戻ります。

そして、法性寺へ向かいます。


石塔が散らばっています。

法性寺へと下る道の道標



法性寺(奥の院)

法性寺は、日蓮を助けた「お猿畠の伝説」が残されている寺です(伝説!松葉ヶ谷法難)。


日蓮の岩窟

「松葉ヶ谷の法難」の際に日蓮が避難したという岩窟です。

松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされた日蓮は、白猿に導かれて「お猿畠」に避難しました。

白猿は日蓮に「お猿畠」の生姜を捧げたといわれています。

その言い伝えから、大町の妙法寺では「厄除け生姜」の儀式が行われています。


日朗の廟所

日蓮の弟子日朗は、松葉ヶ谷で荼毘に付され、お猿畠の法性寺に葬られたと伝えられています。

(参考:大町の安国論寺に日朗の荼毘所があります。)


山王大権現

山王大権現からの眺め。


=大切岸=

大切岸

「大切岸」は、三浦氏の軍勢が鎌倉に入ることができないように造られたという軍事施設。

写真は法性寺から見た「大切岸」。



切岸の上にある2基の石廟です。
鎌倉では珍しいもので市の文化財に指定されています。


切岸上の尾根道。

切岸からの景色です。
真下は畑。遠くは逗子の海。


鎌倉手帳


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