別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年12月5日日曜日

伝説の古道:名越切通

古くは日本武尊が通ったという名越切通

鎌倉時代には鎌倉防衛のための軍事施設として利用されていたものと考えられています。

日蓮名越切通を越えて鎌倉に入ったといわれ、名越松葉ヶ谷の庵で『立正安国論』を書いたと伝えられています。

鎌倉五名水の一つ「日蓮乞水」を案内する道標。
(JR横須賀線「名越踏切」)
まずは、名水を目指して・・・

日蓮乞水


伝説によると・・・1253年(建長5年)、名越切通を越えて鎌倉に入った日蓮が、水を求め、持っていた杖で地面を突き刺したところ水が湧き出したといいます。




日蓮乞水を過ぎJR横須賀線「名越坂踏切」を渡ると、「日朗菩薩墳墓霊場」と刻まれた道標があります。

日朗とは日蓮の弟子です。

案内標識に従って・・・

下をJR横須賀線が通っています。


=名越切通=
https://www.yoritomo-japan.com/kodou-5.htm

入口には地蔵菩薩立象と庚申塔

こんな感じの山道が続きます。



真ん中に大きな石が置いてあります。

わざと置かれているもので、大軍が容易に鎌倉に入ることができないようにするためのものなのだそうです。

つまり、わざと邪魔になるように置いてあるわけですなぁ~。

(参考:鎌倉七口:名越切通の機能


まんだら堂やぐら群の入口

「まんだら堂やぐら群」は、多くの貴重な「やぐら」が残されている所ですが、現在は整備中で立ち入り禁止です。

(※たまに臨時公開をしているようですので情報をご確認ください。)


切通らしい雰囲気になってきました。
突きだした岩が威圧感を与える道です。

亀が岡団地からの入口付近の切通です。

上から見た切通


この切通が終わると出口ですので、さきほどの真ん中に石が置いてあったところまで戻ります。

そして、法性寺へ向かいます。


石塔が散らばっています。

法性寺へと下る道の道標



法性寺(奥の院)

法性寺は、日蓮を助けた「お猿畠の伝説」が残されている寺です(伝説!松葉ヶ谷法難)。


日蓮の岩窟

「松葉ヶ谷の法難」の際に日蓮が避難したという岩窟です。

松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされた日蓮は、白猿に導かれて「お猿畠」に避難しました。

白猿は日蓮に「お猿畠」の生姜を捧げたといわれています。

その言い伝えから、大町の妙法寺では「厄除け生姜」の儀式が行われています。


日朗の廟所

日蓮の弟子日朗は、松葉ヶ谷で荼毘に付され、お猿畠の法性寺に葬られたと伝えられています。

(参考:大町の安国論寺に日朗の荼毘所があります。)


山王大権現

山王大権現からの眺め。


=大切岸=

大切岸

「大切岸」は、三浦氏の軍勢が鎌倉に入ることができないように造られたという軍事施設。

写真は法性寺から見た「大切岸」。



切岸の上にある2基の石廟です。
鎌倉では珍しいもので市の文化財に指定されています。


切岸上の尾根道。

切岸からの景色です。
真下は畑。遠くは逗子の海。


鎌倉手帳


よりともジャパン.com