漢竹・呉竹
鶴岡八幡宮の漢竹(右)・呉竹(左)は京都御所の清涼殿のものを模したもの。
源氏池畔の神苑ぼたん庭園に置かれています。
漢竹は、府中の大国魂神社の矢竹を株分けしたもので、1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りをする際に挿した矢が根付いたものと伝えられています。
京都御所の漢竹
京都御所の呉竹
京都御所は、1331年(元弘元年)、鎌倉幕府が擁立した光厳天皇が即位して以来、1869年(明治2年)に明治天皇が東京に移るまでの約500年間、天皇の御所として使用されました。
漢竹・呉竹は、それ以前の平安宮の内裏にも植えられていたようです。
その年代は明らかではありませんが、清少納言の『枕草子』には呉竹が登場します。
五月頃の月もなくてとても暗い夜の事。
殿上人たちが中宮・藤原定子の女房たちを騒がしく呼び出し、無言で「呉竹」を差し入れます。
様子を見に出た清少納言は、
「この君だったのね」
と言ったのだとか。
「この君」とは、中国晋代の書家で竹を愛した王子猷の「何可一日無此君」という故事からのもので、竹の異称らしい。
「何可一日無此君」=(この君なしには一日もいられない)
藤原行成に知識の深さを褒められた清少納言は、
「竹の名とも知らぬものを」
と謙遜して答えたのだとか。
清少納言が一条天皇の中宮・藤原定子に仕えたのは、993年(正暦4年)頃だと言われていますので、漢竹・呉竹は平安時代中期には平安宮に植えられていたようです。
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~桜の次はアジサイ~