1008年(寛弘5年)7月16日、一条天皇の中宮・藤原彰子は、お産のため土御門邸に里下がり。
彰子に仕えていた紫式部は渡殿の東側の戸口近くに部屋を与えられていたらしい。
そこへやってきた藤原道長が部屋の戸を叩く。
無視していたら、翌朝
「夜もすがら くひなよりけに なくなくぞ 真木の戸口に たたきわびつる」
という歌を贈ってきたので
「ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかにくやしからまし」
と返したのだとか。
紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。
高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。
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