(第8回鎌倉検定試験1級)
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『吾妻鏡』によると・・・
頼朝は、亡き父義朝の菩提を弔うための寺院を建立するため、その場所を探し回ったそうです。
そして、幕府の東南に神聖な場所を見つけ、1184年(元暦元年)11月26日、地曳始が行われました。
(この寺院が勝長寿院です。)
1185年(元暦2年)5月21日、仏像を造立するため、奈良の仏師・成朝が鎌倉に到着。
1185年(文治元年)9月3日、真夜中の午前0時頃、義朝の髑髏と鎌田正清の髑髏が葬られました。
1185年(文治元年)10月11日、須弥壇後方に描かれた宅間(藤原)為久作の「浄土の瑞相並びに二十五菩薩像」が完成。
壁画には、三日月が描かれていたそうですが、頼朝が「自分の影で自分を隠してしまっている」と文句をつけると、為久は三日月を削り取ってしまったのだとか・・・
1185年(文治元年)10月21日、成朝が造立した皆金色の阿弥陀仏が安置されます。
そして・・・
1185年(文治元年)10月24日、勝長寿院の落慶供養が行われました。
北条政子や一条能保室で頼朝の姉妹・坊門姫らも出席しています。
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