『吾妻鏡』によると、
1182年(寿永元年)8月11日、夜になって北条政子が産気づくと、源頼朝は比企邸に赴き、祈祷のための奉幣の使者を伊豆山権現・箱根権現と近国8箇所の宮社に派遣しています。
※政子は比企邸を産所としていました。
伊豆山:土肥遠平
筥根:佐野忠家
相摸一ノ宮:梶原景高
三浦十二天:三浦義連
武蔵六所宮:葛西清重
常陸鹿島:小栗重成
上総一ノ宮:上総良常
下総香取社:千葉成胤
安房東条庤:三浦義村
安房洲崎社:安西景益
翌8月12日午後6時頃、政子は男子を出産。
後の源頼家です。
悪魔払いのため、大庭景義らによって「鳴弦」が、上総広常によって「引目」の儀式が行われます。
午後8時頃、乳母になる河越重頼の妻が呼ばれ、初めて乳を与える儀式が行われました。
(河越重頼の娘は、頼朝の乳母だった比企尼の娘です。)
北条政子が懐妊したことを機に、源頼朝は、鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」の造営にとりかかります。
なかなか着手できないでいたのですが、政子の安産祈願のために始められました。
頼朝自らが指揮し、北条時政らの御家人が土や石を運んだのだといいます。