1189年(文治5年)、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は、9月28日、平泉を発ち、鎌倉への帰路につきます。
その途中に立ち寄ったのが達谷窟毘沙門堂。
『吾妻鏡』によると、
「達谷窟は、坂上田村麻呂らが、夷を征伐したときに、賊徒の頭・悪路王と赤頭が砦を構えていた岩屋。
田村麻呂は、この岩屋に寺院を建立し、鞍馬寺を模して多聞天像を安置。
寺の名を西光寺とし、水田を寄付した」
のだといいます。
達谷窟毘沙門堂西側の岸壁に刻まれた磨崖仏は、岩面大仏と呼ばれ、後三年の役の犠牲者を敵味方なく供養するために源義家が彫り付けたものと伝えられています。
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