愛知県知多郡美浜町の野間は、源頼朝の父義朝が最期を遂げた地。
野間大坊(大御堂寺)には義朝の墓があります。
1160年(平治2年)正月3日、平治の乱に敗れ、尾張国野間に辿り着いた義朝は、長田忠致のところに身を寄せますが、忠致の裏切りに遭い、入浴中に殺害されました。
それから30年後の1190年(建久元年)、頼朝は上洛の途上で、父義朝の墓を訪ねます。
荒れ果てた墓を想像していた頼朝は、立派な堂が建てられ、供養が行われていることに感激したといいます。
このとき、頼朝は野間大坊(大御堂寺)の伽藍を整備し、地蔵菩薩を納めています。
大御堂寺大門は頼朝が伽藍整備をしたときの建築物だと伝えられています。
鐘楼堂の鐘は五代将軍藤原頼嗣の寄進だといいます。
鐘楼堂の背後には義朝の墓を整備した平康頼の墓が置かれています。
義朝の墓の周囲には、頼朝の助命嘆願をした池禅尼の供養塔、義朝の郎党で義朝とともに長田忠致に討たれた鎌田政長夫妻の墓、織田信長の三男信孝の墓が置かれています。
池禅尼供養塔
鎌田政家夫妻の墓
鎌田政家夫妻の墓
織田信孝供養塔
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