1333年(元弘3年)、上野国の新田義貞が倒幕の挙兵をし鎌倉に攻め込みました。
(腰越)
新田義貞は、小動神社で戦勝祈願を行っています。
その折、黄金の雌雄の太刀のうち「雌太刀」を小動神社に奉納したのだといいます。
そして・・・
稲村ヶ崎には、新田義貞の黄金の太刀の伝説が残されています。
稲村ヶ崎を突破し鎌倉に攻め込みたい義貞は、海に黄金の太刀を投げ入れ龍神に祈願したといいます。
すると、潮が引き、稲村ヶ崎を越えることができたという伝説です。
この海に投げ入れた黄金の太刀が「雄太刀」だとする言い伝えもあるそうです。
小動神社の「雌太刀」の行方は・・・
(腰越)
浄泉寺は小動神社と一緒にあった寺で、新田義貞が小動神社に納めたという太刀を保管していたといわれています。
残念ながら、伝説の雌雄の太刀は現存していないようです。
稲村ヶ崎を突破した新田義貞は・・・
稲村ヶ崎を突破して鎌倉に乱入した新田軍は、東勝寺の北条高時を攻め、鎌倉幕府を滅亡させました(参考:鎌倉幕府の滅亡)。