鎌倉五山第三位を誇った壽福寺には、源頼朝の妻で尼将軍とも呼ばれた北条政子と、二人の間に生まれ、三代将軍となった源実朝の墓と伝えられている「やぐら」があります。
~北条政子の墓~
政子は、伊豆国韮山で北条時政の長女として誕生し、源頼朝の正室となります。
壽福寺は、政子が栄西を招いて建立した寺と伝えられています。
~三代将軍源実朝の墓~
実朝は、源頼朝と北条政子の二男として誕生し、比企の乱で兄頼家が修禅寺に幽閉されると三代将軍に就任しました。
しかし、政治の実権は母北条政子や二代執権北条義時に握られ、蹴鞠や和歌にふける毎日を送っていたようです(参考:『金槐和歌集』)。
最期は甥の公暁によって暗殺されてしまいます(参考:源実朝の暗殺)。
実朝の五輪塔が置かれている「やぐら」は、牡丹唐草の模様が彩色されていたことから「唐草やぐら」とか「えかきやぐら」と呼ばれていたそうです。
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他にもある北条政子と源実朝の墓
大町の安養院は、北条政子が源頼朝の菩提を弔うために建てたという笹目長楽寺をその前身としているといいます。
安養院本堂の裏には、国の重要文化財に指定されている尊観の宝篋印塔に並んで、北条政子のものと伝わる宝篋印塔が建てられています。
秦野市の金剛寺の近くには源実朝公御首塚があります。
金剛寺は、暗殺された源実朝の首を葬ったことがそのはじまりとされています。
もとは「木造の五輪塔」が建てられていましたが、その五輪塔は鎌倉国宝館に寄託されています。
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実際に二人が葬られた場所は・・・
源頼朝は、父義朝の菩提を弔うために勝長寿院を建立しています。
北条政子や源実朝が実際に葬られたのは、この勝長寿院と考えるのが妥当なのかと・・・。