興福寺の南円堂には、本尊の不空羂索観音像を中心に四天王像・法相六祖坐像が安置されています。
いずれも、1180年(治承4年)の平重衡の南都焼討後の再興像で、慶派仏師の康慶一門による制作。
康慶は、運慶の父。
慶派は興福寺を拠点としていた奈良仏師の傍系ですが、康慶は1177年(治承元年)に後白河法皇の蓮華王院五重塔の造仏を担当して法橋の僧位を得ています。
当時、奈良仏師で僧位を得ていたのは康慶にみだったようです。
1180年(治承4年)、南都焼討で全焼した興福寺の復興造仏に正系の成朝とともに参加。
成朝は東金堂と食堂の造仏を担当し、康慶は一門を率いて南円堂の造仏を担当しました。
南円堂の諸仏は1189年(文治5年)に完成させたものです。
その後、法橋より一段上の法眼の位を得た康慶は、1196年(建久7年)、東大寺大仏殿の脇侍像・四天王像の造立に参加しているようですが、間もなく没したものと考えられています。
2025年9月9日から
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