食事の世話は、半僧坊の参道にあった茶店招寿軒のお世話になっていました。
招寿軒は、現在営業されていませんが建物はまだ残されています。
「・・・講」と染められた旗が掲げられていた頃の招寿軒 |
その時の様子を善蔵は、
「崖崩れの音、建物の倒れる音、人々の叫び声、とにかくこの世の騒ぎとは思われなかった」
と書いています。
震災後、善蔵は鎌倉を離れ東京に移りますが、招寿軒に借金を残したままでした。
ハナは、その借金を返してもらうために上京しますが、そのまま同棲したということです。
善蔵の作品『おせい』や『暗い部屋にて』などに登場する「おせい」は、善蔵に尽くしたハナがモデルとなっています。
善蔵は、持病の喘息と結核を酒で紛らわすため深酒をしたといいます。そんな善蔵は昭和3年に42歳で亡くなりました。
善蔵の戒名は「藝術院善巧酒仙居士」。
葛西善蔵の墓
昭和56年、菩提寺の徳増寺(弘前市)の墓所から遺骨が分骨されました。
平成4年に亡くなったハナもこの墓に眠っているそうです。
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