別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年5月26日木曜日

作家葛西善蔵と鎌倉

1919年(大正8年)、葛西善蔵は静養のため建長寺の塔頭宝珠院の庫裡を借りての生活を始めます。

食事の世話は、半僧坊の参道にあった茶店招寿軒のお世話になっていました。




招寿軒は、現在営業されていませんが建物はまだ残されています。

善蔵への食事は、招寿軒の娘「浅見ハナ」が届けていたそうです。

「・・・講」と染められた旗が掲げられていた頃の招寿軒


1924年(大正12年)、関東大震災が起こると宝珠院が倒れてしまいます。

その時の様子を善蔵は、

「崖崩れの音、建物の倒れる音、人々の叫び声、とにかくこの世の騒ぎとは思われなかった」

と書いています。

震災後、善蔵は鎌倉を離れ東京に移りますが、招寿軒に借金を残したままでした。

ハナは、その借金を返してもらうために上京しますが、そのまま同棲したということです。

善蔵の作品『おせい』や『暗い部屋にて』などに登場する「おせい」は、善蔵に尽くしたハナがモデルとなっています。


善蔵は、持病の喘息と結核を酒で紛らわすため深酒をしたといいます。そんな善蔵は昭和3年に42歳で亡くなりました。


善蔵の戒名は「藝術院善巧酒仙居士」。

葛西善蔵の墓
建長寺塔頭回春院の墓地に建てられた墓です。
昭和56年、菩提寺の徳増寺(弘前市)の墓所から遺骨が分骨されました。
平成4年に亡くなったハナもこの墓に眠っているそうです。

 建長寺宝珠院


 招寿軒


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