大和国は、古代から興福寺が事実上の支配をしていた国。
その勢力を削いだのが、1585年(天正13年)に大和郡山城に入った豊臣秀長。
秀長は、刀狩りを行い、興福寺から武器を没収。
さらに商業を寺社から分離させるため、奈良での商業活動を禁止し、郡山城下のみで商業活動を許可する政策を打ち出しました。
郡山城下の発展に対し、興福寺は衰退することに。
秀長が採用した箱本制度は、住民に一定の自治権を与える代わりに、町の維持・運営に関わる様々な役割を義務付けるもので、秀長の菩提寺春岳院にはその資料が残されています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2025年9月9日から