別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年5月15日日曜日

十代執権北条師時


一説によると、九代執権北条貞時は、1301年(正安3年)8月21日、彗星の飛来をみて翌日執権職を辞任し、さらにその翌日出家したといわれています。

彗星の飛来を凶兆と感じたからのようです。

十代執権には北条師時が就任しました。

師時は、八代執権北条時宗の同母弟宗政の子で、母は七代執権北条政村の娘です(1275年(建治元年)の誕生)。

父宗政が1281年(弘安4年)に亡くなった後は、時宗の猶子となっているようです。


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浄智寺は北条宗政の菩提を弔うために創建されました。

開基は北条師時です。

浄智寺の創建がいつなのかは諸説あるようですが、

宗政が亡くなった1281年(弘安4年)、あるいは、その数年の間の創建と考えると、宗政の妻(師時の母)が、まだ幼い師時を開基として創建したのだろうと考えられているようです。

第3回鎌倉検定1級の問題では、1282年(弘安5年)の円覚寺創建より前ということのようですので、1281年(弘安4年)の創建なのかもしれません。


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~嘉元の乱:師時と宗方~

1305年(嘉元3年)、師時の従兄弟にあたる宗方(北条時宗の異母弟宗頼の子)が、連署の北条時村を殺害するという事件が起こっています(参考:嘉元の乱)。

自分より先に師時が執権となったことに対する不満から起こした事件といわれていますが、実際はどのような経緯から起こった事件なのか不明のままです。

宗方も父宗頼の死後、北条時宗の猶子となっていたようです。


~師時と貞時の死~

師時は1311年(応長元年)9月22日に亡くなりました。貞時も同じ年の10月26日、師時を追うように亡くなっています。

執権の地位は3人の者が中継ぎした後、1316年(正和5年)、貞時の嫡子高時が十四代執権に就任しています。

ところで・・・師時は浄智寺に葬られたのでしょうか???



浄智寺







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鎌倉五山

鎌倉三名鐘


洪鐘祭


円覚寺の洪鐘



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