別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年5月14日土曜日

当麻曼荼羅縁起絵巻と中将姫の伝説

光明寺に伝わる「当麻曼荼羅縁起絵巻」2巻は、中将姫が蓮糸で織ったという「浄土曼荼羅図」にまつわる物語が描かれています。


 当麻曼荼羅縁起絵巻


この絵巻は光明寺の大旦那内藤家より寄進されたもので国宝。

現在は、鎌倉国宝館に寄託されています。



さて、当麻寺の曼荼羅を織り上げたという中将姫とは・・・

左大臣藤原豊成(横佩の大臣(よこはぎのおとど))の娘といわれる伝説上の姫です。

幼くして母紫の前を亡くし、継母による虐待をうけながら育ちます。

全国各地に継母から逃れてきた中将姫の伝説が残されているようです。


 中将姫の祠

藤沢市の用田にも中将姫の伝説が残されています。



~中将姫と当麻寺の大曼荼羅の伝説~

中将姫は、763年(天平宝字7年)に尼となり、「生身の阿弥陀如来を拝みたい」として祈願したといいます。

そして・・・

お告げによって百駄に近い蓮茎から糸をとり、それを染めて一丈五尺の大曼荼羅を織り上げます。

文献によって物語の内容が異なるようですが、阿弥陀如来と観音菩薩が比丘尼となって現れ、姫を助けて曼荼羅を織り上げる様子は同じだといいます。

願いを成就させた中将姫は、その後『称讃浄土経』千巻の写経に明け暮れ、775年(宝亀6年)に29歳でこの世を去ったということです。


 寿昌寺

継母から逃れ、中条に居着いた中将姫は、見つかるのを恐れて面を付けていたのだとか。

その面は「中将姫の祠」の近くにある寿昌寺に預けられていましたが、住職がうなされるので、寒川神社(用田)に納めたのだそうで・・・

ただし、現存はしないそうです。


 光明寺
https://www.yoritomo-japan.com/page135komyoji.htm